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2007年10月 アーカイブ

2007年10月12日

予防医学について

(働き過ぎ・心の悩み・薬の飲みすぎ)ストレスが病気招く

 免疫力を高めれば、あらゆる病気は予防できるし、治すことも可能。
 終戦直後の昭和20-30年代は、重労働・寒さ・ひもじさ、といった生きる上での辛さがあった。例えば、米作りでも水田の雑草取りも年寄りが腰を90度曲げて草を抜いていた。住む家も風がビュービュー入り込み、食べるものも満足になく、子どもたちはいつも腹を空かせていた。こういう過酷な生き方が体に負担をかけ、病気を招いていた。

時代とともに病気も変わる
 今は、農作業も家事もすべて機械がやってくれ、スーパーに行けばご馳走の山である。寒さも暖かい家や暖房器具の普及で克服できた。生活が楽になって病気の症状もだいぶ軽くなった。例えば、脳卒中にしても以前なら命を落とすケースも多かったのに、今は回復も早く、重度の後遺症も少なくなった。

延びる勤務時間・新たなストレス
 確かに、重労働・空腹・寒さという生存ストレスは減った。だが、安い労働力でいろんな製品を生産する中国や東南アジアとの競争が激しきなって今、日本のサラリーマンは以前にも増して長時間労働を余儀なくされている。形を変えた重労働であり、明らかに行き過ぎである。過酷な労働はやがて体力を消耗させ、病気を引き起こす原因になる。
 インターネットや携帯電話などの普及により、私たちの暮らしは大変便利になったが、文明病というか例えば花粉病・アトピーなど時代に即した新たな病気が出て来る。生存ストレスとは別の、全く予期しなかった辛さが押し寄せ、病気の新たな原因になっている。人間は豊かになると穏やかに生きられる反面、いろんなストレスに負けるのである。過保護なくらい大事に育てられた子どもたちに蔓延しているのが、アトピー性皮膚炎・気管支ぜんそくなどのアレルギー疾患である。何不自由なく育てられ、リンパ球過剰になって、ちょっとした気候の変化でも風邪を引きやすく、ハウスダストにも過敏に反応し、虫に刺されただけで赤く腫れ上がる。心の病気も、外部のストレスに過敏に反応してしまう。
 今の医学では、ともすれば遺伝子の異常が病気の原因のように思いがちで、遺伝子やそれから作られる分子などの新研究ばかりに目が向きがちである。確かに細胞の働く仕組み自体は実に精妙にできているが。しかし、方向性が間違っている。生命体は38億年もかけて進化してきたし、これからも進化し続けるのだから、遺伝子異常を繰り返し、生きている途中に破綻してしまうとは考えにくい。人間は本来、生まれたら生きられるような仕組みにできているが、生き方の無理や環境の苛酷さ、人間社会が作り出した複雑な要因によって、心と体に過剰な負担がかかり、能力の限界を越えた時に、病気になるわけである。わかりやすくあまりに簡単な理論である。
 生き方の無理とは、働き過ぎ・心の悩み・薬の飲みすぎなどを指す。こうしたストレスが病気をつくると考えれば、病気は治せるし、予防も可能である。

怒るのは交感神経が緊張
 それでは、ストレスがかかり過ぎるとなぜ病気を招くのか。私たちの体は60兆個の細胞から成り、それを無意識のうちに調整しているのが自律神経である。しかし、大切な役割を果たしている割には仕組みは単純で、交感神経と副交感神経の2つが、私たちの心と体のすべての行動を支配している。
 交感神経は主に昼間の活動時に働いて体調を興奮させ、一方、副交感神経は休息時や食事の時に優位に働いて心身をリラックスした体調に整えてくれる。例えば一番、交感神経が緊張するのは、頭にきて怒った時。血圧は上がり、脈拍は増え、呼吸も荒くなる。体をワナワナ震わせながらものすごい勢いで怒っていたりするのは、血圧が200を超えて脈拍に合わせて体が揺られているのである。怒り癖のある人が怒っている時は。別に相手が悪いことをしたから怒っているのではなく、自分の気持ちに余裕がなく、感情を抑えられないから怒っているのである。
 人間の体は実に上手くできていて、交感神経・副交感神経がバランスよく働いている時は体調も良いが、長時間労働や悩みすぎなど生き方の無理が続くと、交感神経が緊張して自律神経が乱れ、免疫力が低下して病気になる。

(無理な生き方見直す)仕事も人生も「7割主義」で
 日本人は働くことを美徳と思っているが、欧米人は仕事は大事だが家族を支えるために働くとい考え方で、時間がきたら家にサッサと帰って家族とともに団欒を楽しむ。危険が我が身に迫るまで働くのは行き過ぎである。
 過度のストレスを受けると、私たちの心と体はどう反応するのか。免疫力の中心的な役割を担っているのは、血液の中の白血球なのである。働き過ぎなどで過度なストレスを受けると、交感神経が緊張し白血球の中の顆粒球が過剰に増え、その分リンパ球が減って免疫力が落ちる。顆粒球が増え過ぎると、体内の常在菌を攻撃して化膿性の炎症を起こし、活性酸素を出して組織を破壊する。また、血管が収縮して血行障害になり、高血圧・糖尿病・心臓病・胃潰瘍など色々な病気を発症する流れに入るわけである。ストレスは怖い。

楽のし過ぎも破綻の原因
 逆に、リンパ球が多すぎても体には良くない。例えば、たくさん食べて運動せずに楽をし過ぎると、副交感神経優位でリンパ球が増え、免疫過剰となって健康が破綻することがある。その代表がアレルギー疾患である。

 それでは、病気にならないためにはどうしたらよいか。
まず、働き過ぎや悩みすぎなどの無理な生き方を止めることである。特に、男性は仕事上のストレス、それも働き過ぎで病気になるケースが断然多い。仕事が大事なのはわかるが、ガンや脳卒中などで倒れては元も子もない。元々、私たちの体は急に大病するわけではない。大病になる前に、「もう体が大変だ」と悲鳴をあげるようになる。例えば、肩が凝る、腰が痛い、翌日まで疲れが残るといった症状は、悲鳴のサインなのだ。こうした体の悲鳴を聞いたら、「自分は今、無理をし過ぎた生き方をしている。このままでは破綻するかもしれない」と危険を察知するのが大切なのだ。察知したら、まず30分間仕事を早く切り上げ、その分、30分間、睡眠時間を増やす。いきなり1時間も減らすのは難しい。それで慣れてきたら、仕事の量を徐々に減らす。こうした生き方の改善を、まず心がけるべきである。
 このような仕事のリズムの改善は実際に試してみたが、日ごろから、ストレスのせいか、視力が落ちたり、肩凝りがなどがした。ところが、ある時期から肩凝りがあまりにもひどく、耳鳴りや、眠れない、といった症状が悪化し始めたのだ。所謂「体の悲鳴」が聞こえた気がする。「これではいかん」と思い、それまで12時前後まで働いていたのを、10、8、6時といった具合に仕事時間を減らしていった。ひところに比べたらだいぶ楽になり、自分の時間も確保できるようになった。
 頑張り屋さんには無理かもしれないが、本当は仕事も人生も「7割主義」をモットーにするのがいい、いろんな人に勧めている。完璧主義でやるから時間がどんどん削り取られ、夜も心が休まらず、眠れなくなるわけだ。
 最近、若い人たちを見ていると、ストレスをストレスと感じていない所がある。あいかわらず仕事に打ち込む人もいるが、割と人生を楽しむことを知っていて、仕事だけにのめりこむ人は減ってきたような気がする。
 さて、ストレスと言えば、職場・学校などでの人間関係も悩みの種である。人間関係がうまくいかなくても、あまりくよくよ悩まず、軽く受け流せばいいのだ。別の所え持ち込む・会社を休む・仕事を変えてもらうとか。ずっと悩み続けることは、長時間労働に匹敵するくらい危険だということをぜひしるべきだ。

ストレスが病気招く
① 働き過ぎ   ② 心の悩み   ③ 薬の飲みすぎ

白血球の自律神経支配の法則
 自律神経は白血球の数や働きと密接に関連し、自律神経のうち、交感神経が緊張すれば顆粒球が増加し、副交感神経が優位になればリンパ球が増える、というメカニズムを1966年、安保徹さん(新潟大学院教授)が福田稔さんとの共同研究で発見した。安保・福田理論も呼ばれる。この理論によって、自律神経の乱れが免疫力の低下を招き、病気の原因であることを解明した。つまり白血球の中で、顆粒球の割合が54~60%、リンパ球が35~41%の範囲に保たれている時は自律神経はバランスよく働き、病気も免疫力で十分撃退できる。しかし、働き過ぎ・心の悩み・薬の長期使用などのストレスが加わると、交感神経が緊張し、顆粒球が増え、リンパ球が減って免疫力が低下し、いろんな病気が発症するという。

http://www.geocities.jp/kawajirihiroshi/Kenkou.htm

2007年10月15日

医師のやりがい

Q 研修で回った精神科の指導医がなかなかシニカルな人で,僕が脳外科を志望していると言うと,薄笑いを浮べながら「ああいった科は達成感を味わえるから,君に向いているんだろうね」と言われてしまいました。なるほど精神科は達成感やカタルシスとは縁が薄いのでしょう。ただ,僕としては小馬鹿にされた気分で少々わだかまっています。結局のところ,医者の生きがいとは何だと先生は考えていらっしゃいますか?


A 難しい手術に成功したり(そして患者や家族に深く感謝されたり),神の手などともてはやされれば,さぞや気持ちがよろしいことでしょう。自己肯定感も全開となり,まさに「医者冥利に尽きる」といった心持ちが訪れることでしょう。そもそも喜びや快感は,話が単純でわかりやすい必要があります。誰もが賞賛を惜しまないためには,努力と才能と情熱と成功とが,どれも真っ直ぐに直線で結ばれている必要があるのです。

 ところで,役者だって二枚目の主役や美貌のヒロインが頂点であると思っている人もいれば,渋い脇役,屈折した魅力を教えてくれる敵役などに注目したがる向きもある。あえて「わかりづらいカッコよさ」に共感する人たちもいる。医者の生きがい,自己愛的な部分だって,そういった消息と似通っているのではないでしょうか。

 昔,わたしは産婦人科医を6年ばかり勤めていました。分娩にせよ手術にせよ,その分野で天才的というか大工の棟梁的な頼もしさを持った人物がいるもので,それに憧れつつも,不器用なわたしは「医者の世界は,そんな単純明快なことばかりで成り立っているはずがなかろう」と,違和感を抱きつづけてきました。

 勝者がいれば敗者もいるのが理の当然で,二流の産婦人科医のレベルにすら達することができそうにない駄目なわたしは,その違和感を追求したい気持ちで精神科に移りました。なにしろ精神科の疾患で「風邪が治る」ように後腐れなく治ってくれるのはうつ病(それも内因性の典型的なタイプのみ)くらいで,あとは生煮えというか慢性疾患というか,とにかく自動車修理工のような口ぶりで「はい,治りましたよ!」と言えるケースは稀です。

 病気の治療というものが患者さんの幸福をめざすことと同義だとしたら,精神科医が想定する幸福と,患者さんが望む状態とがきれいに一致するとは限らない。例えば一般的に言って,幸福であるための必要条件の一つは「健康」でありましょう。だが精神科の領域ではそんな発想が通用するとは限らない。むしろ病気(ことに身体疾患)であったほうが周囲から注目されたり優しくしてもらえる。大切に扱ってもらえる。無視されないで済む。だから健康でいるなんて願い下げだと本気で思っている人などいくらでもいるのです。あるいは過酷な現実に直面するよりは,病人として人生からリタイアしたほうが面子が立つと考えたり。

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